"かわいそう"って言葉が嫌い。
誰かに向かって『かわいそう』と言うのも
誰かに『かわいそう』と言われるのも
どっちも嫌い。
誰かが言うそのかわいそうな状況は
当の本人にとってはかわいそうじゃないかもしれない。
むしろ、誰かにぶつけられた「かわいそうに。。。」の言葉によって
前向きに乗り越えようとしていた心が
ぐしゃんっと壊れてしまうかもしれない。
かわいそうかどうかは自分で決める。
無責任にかわいそうかどうかをジャッジしないで。
「かわいそうに。。」を吐き出す人に悪意はない。
だからこそ余計にタチが悪い。
「かわいそうに」と簡単に言ってくる人に限って、それ以上のことはしない。
かわいそう。。。と言いながら、
相手に寄り添っているように見えて、
それは相手のためを思って紡ぐ言葉ではなく、
" かわいそうと思っている自分 " のために使う言葉なのだから、当たり前だ。
そんな私は、ここ数年
誰かに自分の中の悲しみや寂しさを打ち明けることをしなくなった。
自分でその感情としっかり向き合うこと以外に
昇華する方法はないということを知ったから。
それでももし、
誰かが悲しみや寂しさに打ちのめされているのなら、
そしてそのことを私に打ち明けてくれたなら、
私は何も言わず、
共感することで自然と溢れ出すであろう
" 言葉ではない方法 "で、
丁寧に受け止めたいなぁ。